年が改まるとき、あるいは節分の声を聞くとき、ふと立ち止まって自らの一年を思い描く。そのとき心のどこかに、ほんの小さな翳りが落ちることはないでしょうか。厄年にあたる年、凶方位が気になる年、あるいはここのところどうも調子が上向かないと感じる年。そういう節目には古来、人は社へ参り、神に祓いを願ってきました。
雷除けとは、一切の災難除けである
雷という自然の力は、古くから人々に畏れられてきました。田畑を打ち、家屋を焼き、命を奪う。その猛威の前で人は無力であり、だからこそ雷を除けることは、あらゆる災難を除けることと同義とされてきました。「雷除け」という祈りは、単に落雷を避ける願いではなく、一切の禍から身を守る、最も根源的な除災の祈りなのです。
上之雷電神社の摂社、大雷神社には大雷神をお祀りしております。天の雷を御手に収める大雷神は、その雷の力ゆえにこそ、すべての災厄を祓い清める御神徳をお持ちです。火を放つ者は火を制し、嵐を起こす者は嵐を鎮める。災いの源を司る神が、その力をもって人を守護される。これが雷除け・厄除けのご祈祷に力が宿る、揺るぎない筋道です。

江戸から大正へ、祈りの連なりの中に
当社には、江戸から大正の頃にかけて雷除御守を求める参拝者が極めて多く集まったと伝わります。遠路はるばる訪れた人々が何を求めたか。それは単なる護符ではなく、自らの暮らし、家族の無事、商いの先行き、その一切を天の神に委ねる安堵であったと思います。
幾世代もの祈りが境内の土に沁み、御神気は今もここに在します。早朝、境内を掃き清めるとき、玉砂利を踏む音の静けさの中に、その積み重なりをはっきりと感じます。古い石燈籠に苔が根を張り、杜の空気はひんやりと落ち着いている。この場所が長い年月をかけて人々の祈りを受け止めてきたことを、境内の佇まいそのものが語っております。
電気と神経の神様が祓うもの
大雷神は雷という天の電気を司るとともに、人の身体を巡る「生命の電気」すなわち神経をも守護される神です。当社では、神(Shin)の通う道が神経(Shin-kei)であると伝えております。
厄年や凶方位の年は、得体の知れない不安や緊張が心身に巣食いやすい時期です。眠りが浅くなる、気力が湧かない、何かに追われるような感覚が抜けない。これらは精神論で片付けられるものではなく、神経が乱れ、心身の電気が狂い始めているしるしとも言えます。大雷神の御神徳のもとでご祈祷を受けることは、その乱れを鎮め、摩耗した神経に再び静かな明かりを灯す、いわば心の充電の機縁となります。
また、大雷神は学問の神・菅原道真公と同神とされることも当社は伝えております。道真公は生涯を通じて誠実に道を歩まれ、その高潔な御霊が後世に大きな敬仰を集めました。災厄を祓い、清廉な一年へ導くという御神徳は、道真公のお姿とも深く重なります。
節目に祓いを受けるということ
厄年は本厄だけでなく、前厄・後厄を含む三年をかけて身を慎む習わしが古くからございます。方位除けも同様に、凶方位が重なる年は特に注意が必要とされ、年の初めに祓いを受けることが肝要とされてきました。
節分は旧暦の大みそか。季節の変わり目に邪気を払うこの日は、厄除けのご祈祷を受けるのに最もふさわしい節目のひとつです。年末年始・節分のいずれの時期も、当社では厄除け・方位除けのご祈祷をご奉仕しております。
清々しい一年の始まりのために
ご祈祷の後、参拝者の方が境内をあとにされるとき、その背中がすこし軽くなっているように見えることがあります。祈りの言葉が届いたか、神の前で自らの一年を誓った緊張が解けたか、理由はわかりません。ただ、それが当社の務めであり、神職として奉仕する喜びでもあります。
厄除け・方位除けのご祈祷の詳細につきましては、下記のご案内ページをご覧ください。初穂料・申込方法など、必要な情報を掲載しております。
上之雷電神社 厄除け・方位除けのご祈祷について
https://k-raiden.jp/yakuyoke/















