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我々は、自分の「意識」で自分の行動を決めていると思いがちですが、実はそれは大きな勘違いです。
自分の意識には行動を決定する主導権はなく、そのほとんどは「脳の無意識」によって決定されています。
つまり「意識」は自分の体を動かすための「司令塔」ではなく、無意識が決めたことを後から眺めているだけの「傍観者」にすぎないということです。
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この考え方を「受動意識仮説」といいます。
この仮説によれば、「自分の意思で行動を選んでいる」という感覚は一種の錯覚であり、実際には脳が決定した行動に合わせて辻褄が合うように、都合の良い理由を後付けしているだけなのです。
その一例として、人は不思議なものを見たとき、それを神や奇跡、あるいは祟りや霊現象と理由づけることで、複雑で膨大な情報処理から論理性を排除し、単純化させます。
そうすることで、計り知れないこの世界を理解できるサイズに矮小化し、脳を安心させているのです。
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「恐怖」の原因は、唯一「わからないこと」だからです。
我々の意識に主導権はなく、むしろ傍観者にすぎない。
内なる神(=無意識的な脳の働き)を、ただ静かに眺めるのみです。
それを見つめることこそ、スピリチュアルの核心であり、瞑想の入口です。
畢竟、わからないことだらけのこの世界で、「わかる」状態にしようとする営み、それが信仰なのです。
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正しい信仰心は、静けさの中で人を支えます🌿
