御由緒 埼玉・熊谷市上之に鎮座する上之雷電神社の御由緒をご紹介いたします。 御祈祷一覧 厄除け 厄年の方へ向けた御祈祷 方位除け 凶方位への引っ越しの前に 団体祈願 商売繁盛・安全祈願 病気平癒 一刻も早い回復を祈ります 地鎮祭 土地・建物に関するお祓い 初詣 家内安全・交通安全・厄除け お宮参り 健やかな成長・無病息災を祈ります 七五三詣 無事に成長したことを神様にお伝えします 車祓い 車祓い・交通安全祈願など車に関する祈願 神葬祭 神葬祭・霊祭(式年祭) 目次御祈祷一覧千年の歴史が息づく県内一の電気と神経の雷電様ご祭神とご神徳上之雷電神社の御由緒境内ご案内久伊豆社から上之村神社へ上之村神社の昔ばなしお問い合わせ 千年の歴史が息づく県内一の電気と神経の雷電様 千年の時を超えて、熊谷の地に息づく上之雷電神社。 古くは平安以前の創建と伝わり、成田氏・徳川氏といった名だたる武家の崇敬を受けながら、地域の守り神として大切にされてきました。 社名や祭神の変遷を経ながらも、今なお「雷電さま」として人々に親しまれ、埼玉県内屈指の由緒と規模を誇る神社です。 ご祭神とご神徳 熊谷市上之に鎮座する旧郷社の御社です。創建は12世紀ともいわれる古社で、神社本殿、御扉、鳥居はそれぞれ埼玉県の有形文化財に指定されています。えびす大黒様に商売繁昌、雷電さまによる雷除・災難除・気力充実・必勝などのご利益があります。 ご祭神 上之村神社主祭神 ことしろぬしのみこと事代主命〜商業と漁業を司る福の神〜 おおやまつみのかみ大山紙神〜山と森林を守護する自然神〜 おおなむちのみこと大己貴命〜国造りと縁結びの祖神〜 大雷神社主祭神 おおいかづちのかみ大雷神〜雷と天変地異を司る神〜 ご神徳 除災招福・気力充実 商売繁昌・営業繁栄 神経・学問の神様 雷除・電気・電子機器への加護・IT技術向上 電撃必勝・武道・運動競技の勝利加護 学業・技術の上達 上之雷電神社の御由緒 社伝では応永(1394-1428)年間、成田五郎家時によって再興されたと伝えられますので、ご創建はそれよりも前、平安時代以前ではないかと考えられます。忍城で有名な成田氏の庇護の下、熊谷でも随一の広大な境内地を誇る有力な神社となりましたが、天正18年に、成田氏の忍城が落城して以降はその庇護から離れ、徳川氏の尊崇を受けました。慶長9年には、徳川家康により上之村内30石が安堵されています。 社名は、明治2年に現在の上之村神社に改められるまで、「久伊豆神社」あるいは「久伊豆明神社」と号していました。 末社の「大雷神社」は大雷神を祭神とし、「上之の雷電さま」と周辺の住民から親しまれています。 大雷神社の造営に際し、成田長泰より御扉の奉納があり、この御扉と大雷神社の本殿、上之村神社の本殿は共に埼玉県指定文化財となっています。また市の指定文化財である参道の木製両部鳥居は市内最大のものです。 熊谷市鬼門の守護として鎮座し、その境内の広さは市内でも随一のものです。 境内ご案内 上之村神社本殿 大雷神社本殿 天神社 大名牟遅神・速須佐之男命・大日孁貴命・菅原神・八衢比古神・八衢比売神・久那斗神 合殿 諏訪神社 夷神社・荒神社・事任神社・天神社・住吉神社 相殿 神輿庫 伊勢参宮祈念碑 由緒碑・伊勢参宮祈念 医薬大神 角行霊神・食行霊神 三国大一山 六十六度大願成就 社号標 伊勢参宮記念 授与所 久伊豆社から上之村神社へ 新編武蔵風土記稿より 社名 (上村)久伊豆社 社領 慶長九年、社領三十石の御朱印を賜る。 祭神 大山祇命。伊豆国三嶋社を写し祀るといわれるが、疑わしいとされる。 由緒 騎西町領にある大社・久伊豆社を勧請したものと考えられる。 当村および箱田・池上の三村の鎮守である。 末社 雷電社(但馬国木田郡の雷電社を勧請。社の後に御手洗の小池あり)、姫宮、天神、太郎坊、次郎坊、稲荷 建造物 随身門 鐘楼(延宝4年鋳造の鐘を掛ける) 別当寺 久見寺(伊豆国浄慶院と号す)。新義真言宗、村内一乗院の末寺。 客殿に以下を安置: ・久伊豆社の本地仏:十一面観音 ・雷電社の本地仏:馬頭観音 これらはもとは本社に掛けられていたが、後に賊によって牛を奪われたことにより移されたと伝わる。鰐口は他所から持ち込まれたものであり、当社の元来のものではない。 社人 江守大和(京都吉田家の配下) 社僧 大正院(本山派修験)。葛飾郡幸手の不動院の配下で「古林山」と号す。 中興開山:三乗院。天正17年(1589年)3月7日寂。 本尊:不動明王 「埼玉の神社」 中世 久伊豆社の創建と成田氏の庇護 当社はかつて「久伊豆社」と称され、成田氏の本貫地である旧成田郷に鎮座していた。 久伊豆社は元荒川流域に広く分布し、武蔵七党の野与党が関与したとする説もある。 成田郷・箱田・池上などの惣鎮守として、地域の信仰を集めた。 1558 永禄元年 成田長泰が、当社の摂社・雷電宮に朱塗り・金箔の扉を奉納。 墨書には「藤原朝臣長泰」と記され、産土神への篤い信仰がうかがえる。 1590 天正18年 小田原征伐で後北条氏が滅亡し、成田氏も所領を失う。 当社も成田氏の庇護を離れ、徳川家の支配下へ組み込まれる。 1604 慶長9年 徳川家康により、当社に社領三十石が安堵される。 『新編武蔵風土記稿』による記録 別当は村内一乗院末・新義真言宗の久見寺。 客殿には本地仏の十一面観音像(本社)と馬頭観音像(雷電社)を安置。 社人は吉田家配下の江森大和、社僧は幸手不動院配下の修験者・大正院。 中興開山の三乗院は1589年に入寂。 1868 明治以降の変遷 明治2年、社名を「久伊豆社」から「上之村神社」に改称。 主祭神を事代主命に、相殿に大己貴命と大山祇命を祀る体制へ。 明治4年、上地令により社領を失い、明治6年には郷社に列格。 明治42年、周辺10社(御嶽神社・稲荷神社など)を合祀。 上之村神社の昔ばなし 「権現様の担い堀の話」 その昔、上之の成田廓(ぐるわ)の熊野大権現様と上川上の十二所廓の権現様(現伊弉諾神社)が、互いに社領の境争いをして、一晩のうちに境の堀を担って相手方の社領深く堀を置いてくることから、何度も堀が移動しました。これを見兼ねた当社の摂社の大雷様は、互いに譲らぬ神々の仲介に立ち、自分の持つ杖を倒してその杖の倒れた所が双方の神の社領の境であると決め、双方の神もこれに納得したことから、以来、堀は移動しなくなりました。現在、成田廓と十二所廓の境にある堀は、この時大雷様が決めたものであるといいます。 「葦毛の馬を飼わぬ話」 応永年中、領主の成田氏が葦毛の馬に乗って当社に差し掛かった時、いきなり馬が跳ねたために落馬してしまいました。いずれの神の祟りであるか近くの老人に尋ねると、正面が久伊豆大明神、東を向いているのが大雷権現であり、恐らく、これらの神々は葦毛の馬に乗ることを忌み嫌うのであろうと答えました。このため、成田氏は神威を恐れ、葦毛の馬を神馬として奉納し、社前を馬で通るのは恐れ多いのでそこを横切る道沿いに小さな土手を築かせました。以来氏子も葦毛の馬を飼わず、旅先でも葦毛の馬に乗らないといいます。 お問い合わせ tel. 048-527-0885 受付時間/10:00-15:00 御祈祷のご予約 お問い合わせ 上之雷電神社は、 創建から約0年 多くの方々が埼玉の上之雷電神社で様々なご祈祷・ご祈願を行ってきました。 特に電気工事、電波(携帯販売)、家電販売、大工、IT業界など、 高度な最先端技術者たちの篤い崇敬を集めております。 雷電神社 御祭神 大雷の神 雷除け 神経加護 電気工事安全 IT技術向上 安全祈願 心身健全 神之村神社 御祭神 事代主命 商売繁盛 大己貴命 除災招福 厄除け 安全祈願 縁結び 大山祇命 五穀豊穣